♦︎しょうもないことに思いをめぐらせる土曜日の朝。
SF小説を読んでいるとき、ふと、「もし、今、私が生きているこの世の中が本当は存在しなかったら」と考えてしまうことがある。
「会社」は同じ目的を目指した人たちが集まって作っている集団に過ぎない。それを「株式会社」という形にまとめて、あたかも存在するかのように思わせる。
「貨幣経済」だってそう。お札なんて、原価数十円で造幣局で刷っているただの紙切れ。これに福澤諭吉がプリントされただけで、私たちは「1万円だ!」と大事そうに財布の中にしまう。
なんなら「常識」だって、今この時代を生きている人々の大多数が常識だと思っているから、常識なのだ。1世紀後には、今の常識は非常識になっていることだって、十分に考えられる。
となると、国境も言葉もインターネットという世界も、全て私たちが作り出したもので、宇宙の視点に立って考えれば、なーんの意味も為さないのかもしれない。宇宙だって、勝手に人類が「宇宙誕生の謎」とか言って色々研究しようとしているけど、宇宙側にとっては始まりなんかきっとどうでもいいし、甚だ迷惑じゃ、と思ってるかもしれないよね。
こうやって思考がぐるぐるしてくると、「本当は、私たちはどこか違うところで夢を見ているだけなのかもしれない」とか、「何者かによって動かされているのかもしれない」とか、めちゃSFやファンタジーよりの発想により始める。そして行き着く先は「自分は何のためにここに存在しているのか。」「どうして生を受けたのか」「個体としての私のミッションはなんなのか」という問いである。キリがない。
答えのない問い。一番はっきりしている答えは、「私は、遅かれ早かれ必ず死ぬ」ということ。たまには哲学的なことに思いを巡らせつつ、今日も地に足をつけて生きていこう、と思うのである。