こんにちは。まるこです。
今週の勝間塾サポートメール、テーマは「正直に生きる技術」。
「正直は一生の宝」「正直の頭に神宿る」など、正直って素晴らしいんだよ!という正直推しのことわざよりも、「正直者が馬鹿を見る」の方が先に頭の中に思い浮かんでしまいます。
今日は、サポメをきっかけに、「ついてもいい嘘と、いけない嘘」について考えてみました。

1.ついていい嘘
気の進まない飲み会に誘われた時、ばか正直に「あ、その飲み会気が進まないから行かない!じゃね!」って言ったら。言った本人はスカッとするだろうし、いちいち小さな嘘を考える手間がないから楽でしょう。
しかし、言われた相手はどのように感じるでしょう。
ストレングスファインダーで調和性上位(場の空気を読み争いを起こさないようにする、そんな資質)の私は、「すみません、その日は先約があり…」と、ちょっとした嘘をついてしまいます。相手にも嫌な気分を与えないように、なんとか切り抜けるのです。
これくらいの、誰も傷付けることのない嘘だったら、私はついてしまっても仕方がないと思うのです。(その嘘が雪だるま式に大きくなって、収集がつかないことにならないものに限り)
2.ついてはいけない嘘
34年間生きてきた中で一番嫌だった嘘は、元夫の(不貞の事実があったにも関わらず)やってない、と言われたことですね。
なんで嫌だったのでしょうか。
- 夫は、「今さえしのげればいいや。あわよくば妻をだまし続けよう」と思い嘘をついたこと。
- そして、それは最初から見え透いた嘘だったこと。
- 今後、こんなことで騙され続け(たフリをして)て何十年間も夫と添い遂げる、と考えた時点でめまいがしたこと。
なんだか色々な思いが交錯して、最終的には離婚を決意したのだと記憶しています。しかし、不貞したという事実よりも、「だまし続けよう」という夫の考えに、もっとも深く痛く傷ついたんだと思います。今回、「嘘」について考えてみて初めて気が付きました。
もしもあのとき、正直に不貞を夫が認めていたら?
夫の態度によっては、私は話し合いに臨んだかもしれません。
3.まとめ:ついてもいい嘘と、いけない嘘
私が思うに、嘘には2種類あります。ついてもいい嘘と、いけない嘘。
- ついてもいい嘘:小さな、誰も傷付かない嘘
- いけない嘘:他人を深く痛く傷つける嘘
嘘をつく「自分」とつかれる「相手」がいることを忘れてはいけません。嘘をつく相手が「自分自身」でも一緒です。今、自分がついた嘘で、未来の自分が傷つく恐れがあるのなら、それはついてはいけない嘘。
そんな風に、私は考えます。
ところで、「嘘」というワード一つをテーマにしただけで自分のこれまでの体験をひっくり返して思い出してみると、信じられないほど沢山の事柄を思い出しました。
こうして、一つのキーワードをきっかけにして色々振り返ってみるのも、また面白いものです。忘れていただろうと思っていたことや、全然傷付いてなんかない、と思っていた古傷が顔を出したり。
本日もお読みくださり、ありがとうございました。